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青春18きっぷの旅 2011夏(その2) |
高崎 | |
2011年8月28日 |
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2011年夏の青春18きっぷの旅、 2回目は高崎への日帰り旅。 湘南新宿ラインの高崎行き列車で高崎駅に到着。 |
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高崎駅から群馬県道31号(高崎停車場線)を 西に約10分歩くと、高崎城址公園に到着。 ここにはかつて東門があった。 |
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公園の周りに一部残されている堀に沿って 南側に回る。 |
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南側の土塁は一部がこのように切り通され、 道路となっている。 |
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明治9年に大染寺跡地に造られた高崎公園。 | ||
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切り通しから城址公園(三の丸跡)に入り、 土塁に上る。 |
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南東(巽)隅。 櫓跡らしき礎石が埋まっている。 |
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南側の土塁の上から城址公園内を見る。 三の丸はこの部分のみ少し東側に張り出している。 |
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三の丸跡の(張り出している部分の)北東隅。 | ||
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三の丸跡東側の土塁の北端。 | |
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三の丸跡の内部には遺構や復元建築物はない。 | ![]() |
三の丸跡に建つ高崎市役所。 | ||
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東門跡に戻ってきた。 群馬県道29号(あら町下室田線)を挟んで 北側にも土塁が続いている。 |
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土塁上を北上すると、櫓に突き当たった。 | ![]() |
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高崎城乾櫓(群馬県指定重要文化財)。 その名の通り、本来は高崎城の北西にあったが、 名主へ払い下げられて納屋として使用され、 昭和49年に県重文指定、昭和54年に 現在の場所へ移築の上一部の復元が施された。 群馬県内の城郭建築物で現存するのは この櫓だけである。 |
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土塁から下りて別アングルから乾櫓を撮影。 | ![]() |
東門。 乾櫓と同じ名主に払い下げられて 名主方の門となっていたが、昭和55年に ライオンズクラブによって移築復元の上 高崎市に寄贈された。 |
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正面から見た東門。 | ![]() |
東門と乾櫓。 | ||
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外側から乾櫓を見る。 | ![]() |
追手門跡。 | ||
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追手門跡そばには 「歩兵第十五聯隊趾」の碑がある。 |
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石垣の上には「飛龍の松」が植えられている。 明治26年10月22日にここで観兵式が行われた後、 明治天皇が植えたという。 |
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群馬県道49号(藤木高崎線)を越えて、 交番の裏から続く土塁上を北上する。 |
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姉妹都市公園の北東端が 高崎城跡の北東端でもある。 ただし、隅の部分は公園入口として アーチを作るために切り崩されたようで 隅櫓の遺構などはなさそうだった。 |
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土塁上をそのまま西に進み、 子の門跡まで行ったところで 土塁たどりは終了。 |
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来た道を、今度は堀の外側を通って戻る。 北東隅には「柳橋」という橋が架かり、 アーチをくぐると姉妹都市公園。 |
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高崎駅に戻る前に、 願行山大信寺へ立ち寄った。 |
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墓地の入口から近いところに説明板つきの墓が 2つある。 |
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左側が高崎の秤座を開座した 守随(しゅずい)彦三郎の墓 (高崎市指定重要文化財)、 右側が徳川第3代将軍家光の弟・忠長の墓 (高崎市指定史跡)。 |
大信寺からはまっすぐ高崎駅に向かい、行きと同じ経路で帰宅した。
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