青春18きっぷの旅2011春(その2)
神 戸
2011年4月6日〜7日
新開地からはまっすぐ三宮まで行かず、歩いてJR兵庫駅まで行き、和田岬行き列車に乗車。
和田岬駅で下車し、神戸−門司間を含めた山陽本線全線乗りつぶしを達成。
神戸市営地下鉄海岸線に乗り換えて終点の三宮・花時計前で下車。
夕食を取った後、ようやくホテルに到着。
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[2011年4月7日 8:19] ホテルをチェックアウトすると、 西へ向かって歩く。 ポートライナーの高架をくぐって、到着したのは 東遊園地。 東遊園地の所在地は神戸市中央区加納町。 町名は生田川の付け替え工事を含む この一帯の整備に尽力した材木・廻漕業の 加納宗七に因む。 園内には宗七の記念碑とブロンズ像がある。 |
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生田川に架かっていた加納橋の欄干。 |
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「日本近代洋服發祥の地」碑。 |
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園内南部にあるのは・・・ |
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「1.17希望の灯り(Flame of Hope)」。 現地の説明板によると、 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)発生から 5年後の平成12年(2000年)1月17日5時46分に 被災した10市10町(当時)および47都道府県から 集めた種火を1つにして「生きている証」として 灯された。 |
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この中には 「阪神・淡路大震災 慰霊と復興のモニュメント」。 があり、震災で犠牲となった方々の 名前を刻んだプレートがつけられている。 |
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園内西側の広場。 奥に見えるのは神戸市庁舎1号館。 |
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モラエス翁像。 神戸市の公式サイトによると 長谷川雅司が製作し、昭和39年に設置された。 ヴェンセスラオ・デ・モラエスは明治31年から 大正2年まで神戸に住んでいた。 また、ポルトガル海軍の将校であったことから 昭和58年10月にポルトガル海軍からの メッセージが贈られている。 なお、モラエスが亡くなった地である 徳島の眉山には モラエスの記念館(モラエス館)がある。 |
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「阪神・淡路大震災の記憶」と称する トレリス(格子垣)。 マグニチュード7.3の激震により 地盤に60cmの段差ができたため、 このトレリスも高さにずれが生じた。 震災による被害の大きさを記憶にとどめるため、 ずれを修正せずに残している。 |
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左にはアレクサンダー・キャメロン・シムの 記念碑がある。シムは KRAC(神戸レガッタアンドアスレチック倶楽部)の 創設者で、神戸のスポーツ振興のほか 義勇消防隊の隊長や道路の建設・改修の 指揮・監督を務めた。 記念碑のある場所の近くにはかつて KRACのクラブハウスがあったらしい。 奥に見える黒い球状のモニュメントは ボウリング発祥記念碑。 1869年に当時居留地だったこの地に ボウリング設備のあるTHE KOBE CLUBが造られた。 なお、日本初のボウリング場は 文久元年(1861年)長崎に作られた。 |
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東遊園地からさらに西に歩き、 次に訪れたのは三宮神社。 祭神は湍津姫命。 この一帯の地名「三宮」の由来となった神社である。 また、慶応4年には三宮神社前で 「神戸事件」(岡山藩士が隊列を横切った フランスの水兵を切りつけた事件)が 発生したため、「史跡神戸事件發生地」の碑が 境内に建っている。 |
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神戸事件において備前(岡山)藩が外国軍との 銃撃戦の際に大砲を用いたとされることから 参考資料として同年代の大砲が据えられている。 |
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三宮神社拝殿。 |
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河原霊社。 寿永三年(1184年)の一ノ谷の戦いにて 生田の森に一番乗りを果たしながらも討死した 河原太郎高直・次郎盛直兄弟を祀っている。 |
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三宮神社の北側入口。 |
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外から三宮神社の本殿を見る。 |
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神戸の中華街・南京町の東側入口にあたる 長安門。 今回残念ながら南京町を見る時間がなかった。 |
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メリケン波止場前交差点。 歩道橋で国道2号を越える。 |
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歩道橋の真ん中から見た国道2号。 ←大阪方面|門司方面→ |
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交差点の南東側にある「みなと公園」には 海軍操練所の顕彰碑(「海軍營之碑」)と 陸奥宗光の顕彰碑がある。 |
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メリケン波止場。 右側の面には「神戸税関萬国波止場」とある。 |
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メリケンパーク入口にある巨大な鯉のオブジェ 「フィッシュ・ダンス」。 |
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海沿いに進んで浜手バイパスをくぐると、 その先にはこの光景。 この時期だからこそ訪れたかった場所。 |
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その名も「神戸港震災メモリアルパーク」。 平成7年(1995年)1月17日の地震で崩壊した メリケン波止場の一部を被災した状態のままで 保存するとともに、神戸港の被災状況と 復興過程・港の重要性を後世に伝える施設。 |
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海上保安庁の巡視艇「はるなみ」(PC18)と 神戸市の港務艇「きくすい」。 |
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神戸海洋博物館。 川崎重工グループの企業博物館である 「カワサキワールド」を併設。 博物館前には海上コンテナが展示されている。 「神戸港震災メモリアルパーク」も 神戸海洋博物館の屋外展示。 |
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屋外展示の一つ、 コンテナ船「らいん丸」に搭載されていた 蒸気タービンエンジン。 |
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屋外展示の一つ、 有桿錨(ストックアンカー)。 三菱重工神戸造船所で長年使用されていたが 昭和62年に寄贈された。 |
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神戸海洋博物館・カワサキワールドの入口。 ミュージアムショップで Kawasakiのロゴ入りキャップとともに 1冊の本を購入した。タイトルは 『不死鳥レールウェイ 震災の街を走る鉄道』。 阪神・淡路大震災発生から15年後の 2010年1月17日に発行された、 震災で被害を受けた神戸近辺の鉄道が 徐々に復旧する様子を撮影した写真集。 |
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超電導電磁推進船「ヤマト1」と 神戸ポートタワー。 |
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「TSL(テクノスーパーライナー)疾風」。 超高速貨物船「テクノスーパーライナー」の 実海域模型船(実験船)で、 揚力式複合支持船型(TSL-F)。 |
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帆船「サンタ・マリア号」(復元)。 クリストファー・コロンブスが ジパングへの航海に使用したとされる 「サンタ・マリア号」を、コロンブスの サン・サルバドル島到達500年を記念して バルセロナ→神戸間の実験航海を行うために 復元したもの。 |
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神戸港移民船乗船記念碑。 明治41年(1908年)4月28日に 第1回ブラジル移民船として「笠戸丸」が 神戸を出港したことを記念し、93年後の 平成13年(2001年)4月28日に建立された。 |
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徒歩でJR元町駅まで行き、 三ノ宮でポートライナーに乗り換え、 南公園駅で下車。 |
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ここでの目的は・・・ | UCCコーヒー博物館。 昭和56年の神戸ポートピア博覧会に 出展されたコーヒーカップ型のパビリオン 「UCCコーヒー館」を前身とし、 モスクをモチーフとした外観に改装されて 昭和62年10月1日に開館した。 |
ポートライナーで三宮に戻ると、新大阪へ。
新大阪から東海道新幹線で帰京。
New Yen Town Station | ||
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