青春18きっぷの旅2011春(その1)
豊橋鉄道渥美線・田原(愛知県)→福山

2011年3月11日〜12日

※記事内の画像説明に付されている[時刻]はデジタルカメラのタイムスタンプによる時刻です。
実際の時刻と多少のずれが生じている場合があります。

※このページには当日発生した「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)」に関する記述が含まれています。
不快に思われる方がおられると想定し、該当する記述は[ ]で囲った上で背景と同じ色にしております。
ただし、最後のほうの記述については文字色を変えず、代わりに手前に注意書きとほかのページへのリンクがございますので、
見たくない場合は注意書きが見えた時点で他のページに移動してください。
最後に、今回の地震で被災された皆様にはお見舞い申し上げますとともに、不幸にも亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。


ここ3年間は春の「青春18きっぷ」シーズンにまとまった休みが取れなかったが、
今年は3月11日〜13日がシフトで3連休になったので、
4年ぶりに春季に「青春18きっぷ」を購入し、2泊3日の旅行を計画した。
新潟・佐渡方面などいろいろと構想した中で、今回は目的地を福山・岡山とし、
せっかくの18きっぷなので往路・復路とも途中下車する予定を立てた。

2011年3月11日金曜日

自宅から一番近いJRの駅・登戸で青春18きっぷを使用開始。
駅構内には翌日から実施されるダイヤ改正を知らせるポスターや改正に対応したポケット時刻表などがあった。
南武線はダイヤ改正により登戸−川崎間で快速運転が復活するので、
ホーム上の発車案内も「各駅停車」の種別表示がされており、車両の側面方向幕も「快速」が入ったものに更新されていた。

8:11発の川崎行きで川崎まで行き、東海道線の熱海行きに乗り換え。
熱海で島田行き、静岡で浜松行き、浜松で豊橋行き、と乗り継ぎ、13:55に豊橋駅に到着。

[14:01]
豊橋駅から徒歩連絡で豊橋鉄道渥美線の新豊橋駅へ。
[14:02]
改札口は連絡通路のエスカレータを下った1階にある。
[14:05]
新豊橋駅の改札内。
1番線に停車中の三河田原行き1800系電車は
元東急の車両。
[14:52]
終点・三河田原駅に到着。
駅舎の外観は左右非対称の蔵風。
[14:55]
線路が途切れたところから三河田原駅構内を見る。
[←14:56][14:57→]
線路が途切れたところより西側を見る。
戦前にはさらに先の黒川原(くろかわばら)まで伸びていた。
線路の延長上にある道路は廃線跡だろうか。
[15:00]
渡辺崋山の墓がある辨戝天山城寳寺
(べんざいてんざん じょうほうじ)。
[15:01]
山門は南側にある。
[15:03]
山門をくぐると、右手に城宝寺古墳がある。
[←15:04][15:05→]
城宝寺古墳(城宝寺石槨)の現在の形は円墳だが、
かつては前方後円墳だったとの説もある。
先住民族の首長が葬られた塚であると言われているが、
現在は大日如来像が祀られている。
[15:06]
左手には墓地があり、
その中に渡辺崋山と親族の墓がある。
[15:07]
中央が崋山の墓、その左が妻の墓、右が母親の墓。
両サイドには次男の小崋とその妻の墓もある。
[15:08]
円墳の上には、山号の由来となった弁天堂がある。
城寶寺を後にし、田原城跡に向かって北行。
[防災無線で何か放送されていたようだが、
この時はあまり気にしていなかった。
]
[←15:20]
田原城跡へはこの「殿町」交差点を左折する。
[15:21]
緩やかな右カーブの坂を上ると、田原城跡に到着。
[15:24]
東側の堀。
[15:25]
大手門に当たると思われる桜門。
[15:26]
東側の堀には「袖池」という名がついている。
[15:27]
西側の堀「桝池」。
[15:28]
桜門をくぐると、左手には二の丸櫓がある。
右手の三の丸には護国神社があったが、
時間に余裕がなかったため見られなかった。
[15:30]
二の丸には田原市博物館(一般観覧料210円)がある。
田原藩を含む田原市の歴史よりも
渡辺崋山関連の展示が中心である。
[15:48]
二の丸櫓は文化財収蔵庫とされているが、
1階および2階には田原市の歴史関連の展示があり、
(1階に田原城の模型あり)無料で観覧できる。
[15:48]
田原市博物館の入口。
[15:52]
二の丸と本丸を隔てる空堀。
[15:52]
この先が本丸跡。
[15:52]
本丸跡には児島高徳と三宅康貞を祭神とする
巴江神社が鎮座する。
「巴江」はかつて海が城の周囲に入り込み、
その様子が巴紋のようであったことからついた
田原城の別称。
[15:54]
巴江神社の拝殿。
[15:56]
本丸南西部の石垣。
江戸時代のものだろうか。
[15:56]
西側の空堀を通って、駐車場のある入口に出た。
豊橋に戻るために乗らなければならない電車は
三河田原駅16:17発。
急いで駅への道を戻りはじめた。
[16:00]
田原市民俗資料館。
観覧無料だが、残念ながらそのままスルー。
[この頃、防災無線では
「愛知県外海に津波警報が発令されています。
海沿いの人は避難してください。」という放送が
さかんにされていた。
]
[16:01]
田原中部小学校正門横にある
田原藩の藩校「成章館」跡の石碑。
学校の系譜としては、現在の愛知県立成章高校が
成章館の後身にあたる。
[16:04]
田原城惣門跡。
現在は画像に見える石垣のみ遺構として残っている。
[←16:12][16:13→]
三河田原駅に戻ってきた。
16:17発新豊橋行きの電車には何とか間に合った。
単式ホームに停車中の車両には
「なぎさ号」の愛称がついている。
この電車に乗って三河田原を後にした。
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※以下、当日発生した「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)」に関する記述、画像があります。
不快に思われる方は上記のリンクを使うかブラウザの戻るボタン、ブックマークなどを利用して別のページに移動してください。
新豊橋行き電車の車内で携帯電話を使ってニュースサイトを見たら
「14時46分に東北地方でM8.4の地震」「宮城県栗原市で震度7」をはじめとした地震関連のニュースであふれており、
この時にはじめて事の重大さを知った。
そして各鉄道会社のモバイルサイトを見ると、首都圏の鉄道は完全にストップ、
JR東海も東海道新幹線運転見合わせ、東海道本線の豊橋より西と関西本線の一部以外は運転見合わせなど、
静岡県より東には戻れなくなっていた。
そんな中、豊橋鉄道渥美線は通常運行で、定刻の16:52に終点・新豊橋に到着。
[16:55]
JR豊橋駅・東海道本線の発車案内。
モバイルサイトで見た通り、浜松方面は運転見合わせ、名古屋方面は平常通りだった。
改札口には浜松方面に向かう予定だったと思われる多くの人たちが立ち尽くしていた。
メールで家族と連絡は取れたものの、戻れるなら旅行を中止して帰宅したい気持ちだった。
しかし、前述のとおり東には戻れないので、予定通り17時1分発、豊橋始発米原行き新快速に乗車した。
米原行き新快速は定刻より2分遅れの17時59分に名古屋駅6番線に到着した。
名古屋に着くまでに、名古屋から乗るはずだった博多行き「のぞみ51号」は運休になったことを
JR東海のモバイルサイトにて知ったので、名古屋駅の駅員にこの後どうすればいいか尋ねると、
大幅に遅れていた新大阪行き「のぞみ231号」が18時20分頃に到着するので、
それに乗ってくれと言われた。
18時21分に「のぞみ231号」が入線、定刻から実に2時間41分遅れで名古屋駅を出発した。
のぞみ231号」は下記の通り、通常は通過する岐阜羽島、米原にも停車し、
終点新大阪には2時間53分遅れで到着した。
名古屋→新大阪
※新大阪以外は発時刻、新大阪は着時刻
のぞみ231号 (のぞみ51)
駅 名 定刻 実際 遅れ 定刻 遅れ
東 京 1400 ---- ---- 1630 ----
名古屋 1545 1826 +161 1815 +11
岐阜羽島 通過 1838 ---- 通過 ----
米 原 通過 1853 ---- 通過 ----
京 都 1623 1915 +172 1852 +23
新大阪 1636 1929 +173 1906 +23
東海道新幹線はこの日東京方面の列車全てを運休とした。
新大阪駅では東に行けなくなった人たちが
新幹線特急券の払い戻しのため長蛇の列を作っていた。
新大阪駅の駅員に、福山まで行くのにどうすればよいかと尋ねると、
次の「ひかりレールスター」に乗ってくれと言われた。
[20:11]
定時では19時59分新大阪始発の博多行き「ひかりレールスター585号」。
これに乗って福山へ向かった。
新大阪→福山
※福山以外は発時刻、福山は着時刻
ひかりレール
スター585号
(のぞみ
51号)
駅 名 定刻 実際 遅れ 定刻 遅れ
新大阪 1959 2015 +16 1909 +66
新神戸 2013 2029 +16 1922 +67
岡 山 2046 2102 +16 1957 +65
福 山 2103 2118 +15 2013 +65

ホテルに着いたのは21時30分。
予定よりは1時間半ほど遅れたが、この日のような異常事態では、遅れが1時間半で済んだといったほうが正しいだろう。
それ以前にこの日は、もし北に向かっていたら大地震に巻き込まれており、
東京にいたり、西に向かっていても豊橋より東で寄り道をしていたり新幹線に乗っている途中だったりしたら
地震に伴う鉄道の運転見合わせで身動きが取れなくなっていたこと、
また名古屋や新大阪でそれほど待たされずに新幹線に乗れ、しかも遅れがこの程度で済んだことを考えると、
地震で被災された方々や、自宅や目的地にたどり着けなかった方々に比べればかなりの幸運だったとしか言いようがない。

ホテルの部屋のテレビで日付が変わるまで地震・津波関連報道を見て、明日はどうなるのだろうと不安に思いながら眠りについた。

2011年3月12日土曜日

この日は4時30分頃に目が覚めて、しばらくはテレビの地震・津波関連報道を見ていた。
6時頃に一旦外出して近くのコンビニで新聞を買い、さらに地震関連情報を収集。
8時30分頃にホテルをチェックアウトし、鞆の浦に向かうため駅前のバス停へ向かった。

New Yen Town Station
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2011春
鞆の浦>
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