青春18きっぷの旅2011春(その1)
鞆の浦<その1:福山駅前バスターミナル〜医王寺>
2011年3月12日
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ホテルから徒歩で福山駅南口にやってきた。 バスターミナルの11番乗り場に停車している 「鞆港」行き鞆鉄バスに乗車し、鞆の浦へ向かう。 |
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しかし、終点の「鞆港」でも1つ手前の「鞆の浦」でもない、 さらに手前の「鞆車庫前」停留所でバスから下車。 |
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その目的は、福山駅前行きのバス停に残る、 ある痕跡を見るため。 |
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福山駅前−鞆港のバスを運行している鞆鉄道が 1954年までその名の通り鉄道の営業をしていた時、 ここは終点の鞆駅だった。 これが鉄道時代の改札口の跡だといわれている。 |
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海沿いの道を歩くと、進行方向左手に 仙酔島が見えてきた。 |
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鞆郵便局。 道路を挟んで反対側には、観光客を歓迎する 「ようこそ鞆の浦へ」という看板がある。 |
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「ようこそ鞆の浦へ」の裏は「またどうぞ鞆の浦へ」。 看板を過ぎたところに「安国寺下」停留所があり、 八代亜紀の代表曲の1つ『舟唄』の歌碑がある。 |
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バス停のすぐ先を右折し、このような参道を進む。 左手前にある石柱には「國寳安國寺釋迦堂」、 右奥にある石柱には「不入葷酒」と刻まれている。 |
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室町時代に北朝・幕府によって全国各地に設置された 「安国寺」のうち、備後国の安国寺がこの瑞雲山安国寺。 元は金宝寺だったのを安国寺に改められた。 釋迦堂は旧国宝→国の重要文化財に指定されている。 |
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境内へはこちらの山門から入る。 | ![]() |
安国寺の隣にある正法寺。 | ||
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南に進むと慈徳院がある。 | ![]() |
寺号は本願寺だが、 宗派は浄土真宗ではなく時宗である。 |
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さらに南に進むと、 沼名前神社(ぬまくまじんじゃ)の参道の途中に出た。 |
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参道を進むと、 左手に小松寺の入口。 |
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右手には麾尼山大観寺の山門。 | ||
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大観寺境内の梅は満開だった。 | ![]() |
沼名前神社の二の鳥居(広島県指定重要文化財)は 明神鳥居の笠木の先端が反りあがった「鳥衾形鳥居」。 |
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「參神作造化之首」「二靈為群品之祖」と刻まれた 一対の石柱の間を通り、さらに奥へ。 |
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随身門。 | ||
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随身門を抜けると、 右手に板で塞がれた能舞台がある。 |
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能舞台は元は組み立て式で、 伏見城内にあり豊臣秀吉が愛用したらしい。 福山藩初代藩主水野勝成が伏見城取り壊しの際 福山城伏見櫓とともに徳川秀忠より譲り受けた。 3代藩主水野勝貞が万治年間に沼名前神社に寄進し、 元文3年(1738年)に固定能舞台として この場所に設置された。 1953年に国の重要文化財に指定されている。 |
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大石段の先に拝殿が見える。 | ![]() |
石段を登りきったところには 「天不吉而信萬民以服」「神不怒而威百衆以畏」 と刻まれた一対の石柱が建つ。 |
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沼名前神社拝殿。 沼名前神社の祭神は大綿津見命と須佐之男命。 |
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右手には八幡社、厳島社などの摂社が並ぶ。 手前に写っている石灯籠は福山市指定重要文化財。 |
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「天不吉而信萬民以服」の石柱そばには 第一次世界大戦の戦利品だという ドイツ製の大砲がある。 |
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石段の最上段から鞆の町並みと仙酔島を望む。 「神不怒而威百衆以畏」の石柱の横には 「船中海上安全」と刻まれている。 |
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境内には、沼名前神社の宮司の長男として生まれ、 森下仁丹を創業した森下博の胸像がある。 |
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海側へ伸びていく参道。 ここで直進せず右折して再び寺社巡りへ。 |
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顕政寺。 | ![]() |
法昌山妙蓮寺。 | ||
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妙蓮寺の角を右折すると、行く手に小さな石橋が。 | |
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応神天皇の御世に百済の施設の接待役と官妓が 恋を語り合っていたという「ささやき橋」。 |
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ささやき橋のそばには 「尼子十勇士」に数えられる山中鹿之助幸盛の 首塚がある。 彼が殺された地である高梁川阿井の渡 (岡山県高梁市)には胴塚がある。 |
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ささやき橋、首塚の先にあるのは 正覚山静観寺。 |
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大覚山法宣寺。 国指定天然記念物の「天蓋松」があった寺だが、 肝心の松は1991年に枯れてしまったらしい。 |
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鞆小学校への坂道を過ぎた先の分岐点に、 交通事情改善のために 鞆の浦の埋め立てと架橋を求める幟が立てられていた。 |
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南禅坊。 | ![]() |
心光山阿弥陀寺。 | ||
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阿弥陀寺を過ぎると、広島県道47号と合流する (といっても道幅は変わらないが)。 次の丁字路を右折すると、医王寺への上り坂が始まる。 |
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坂の途中にある松江山明圓寺。 | |
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坂道の傍らには「太子殿明圓寺醫王寺参道」 と刻まれた石柱が建っている。 |
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明圓寺本堂。 そばには「親鸞讃歌」歌碑と親鸞の銅像がある。 賽銭箱は「東北地方太平洋沖地震救援金箱」 となっていた。 |
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さらに坂道を上ると、石垣の上に舘神社が鎮座していた。 | ![]() |
坂道の突き当りで左折。 この坂を上れば医王寺。 |
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その前に、展望スポットがあったので立ち寄る。 | |
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鞆の浦の向こうに走島が見えた。 | ![]() |
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医王寺への石段。 | ![]() |
展望スポットから鞆の浦、仙酔島を望む。 | ||
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展望スポットから鞆の浦、仙酔島を望む。 | ![]() |
展望スポットから鞆の浦、走島を望む。 | ||
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石段を上り、桃林山医王寺に到達。 こちらは御影堂。 |
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医王寺本堂。 | ||
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奥には宝篋印塔、鐘楼などがある。 | ![]() |
宝篋印塔。 | ||
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さらに奥、太子殿への道が続いていたが、 次の目的地へ行くための時間と体力を考えて 自重した。 |
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鐘楼から鞆の浦を望む。 | ![]() |
鞆城跡(歴史民俗資料館)付近をズームで撮影。 | ||
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走島方面を撮影。 | ![]() |
宝篋印塔を先ほどとは別アングルで撮影。 | ||
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医王寺の山門。 ←山側|海側→ |
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山門には大きな草鞋が奉納されていた。 | ![]() |
鞆の浦を見下ろしながら坂を下っていく。 <その2に続く> |
New Yen Town Station | ||
<田 原 | 青春18きっぷの旅 2011春 |
鞆の浦> (その2) |
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