青春18きっぷの旅2005-2006冬
熊本・三角→鹿児島本線

2005年12月23日〜24日


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[2日目:12月23日金曜日=天皇誕生日 の続き]

19時頃、熊本駅に到着。駅構内(改札外)にあるモスバーガーで夕飯としてハンバーガーとサラダを食べた後、
今回の旅で唯一の宿泊先となる「JR九州ホテル熊本」にチェックイン。
シングルの料金は通常6900円だが、当日使用した青春18きっぷを提示すると1割引になり(6210円)、
朝食(750円)をプラスしても通常料金とほぼ同じ6960円で済んだ。
部屋に着いて備品を確認した後、21時頃ユニットバスに入って汗を流す。
その後はしばらくテレビを見て、23時頃に就寝。日付が変わる前に就寝したのは何ヶ月ぶりだろう。

[3日目:12月24日土曜日]

朝は7時頃起床。
「JR九州ホテル熊本」の1階にある和食のレストラン「うまや」で朝飯を食べた。
部屋に戻って身支度を整えると、8時30分頃チェックアウト。
熊本駅前電停に入線する熊本市電(2系統)健軍町行き電車。
熊本駅前電停から市電で熊本城へ行く。
行幸橋のたもとに立つ加藤清正像。
背後に見えるのは熊本城。
行幸橋を渡り、櫨方門から入城する前に備前堀を撮影。
堀の向こう側に見えるのは飯田丸五階櫓。
国指定重要文化財の「不開門」(あかずのもん)。
城の東北、つまり鬼門にあたるため
通常は開けられなかったことからその名がついたらしい。
現在は開いており「不開門」の看板に偽りありの状態となっている。
左手前の石垣の上には
かつて西竹の丸五階櫓(別名:独立櫓)があったらしい(将来復元する予定)。
左奥に見えるのは飯田丸五階櫓。
元からあった右側の石垣に細川氏が増築してできた「二様の石垣」。
熊本城天守閣。右側が大天守、左側が小天守。
首掛石。
加藤清正に父を殺された横手の五郎という若者が
人夫として入りこんだ際に、この石を首に掛けて運んだといわれている。
天守閣への入口は反対側にある。
単なる観光スポットでなく
地元の人にとっての憩いの場にもなっているのだろうか、
この日は城近辺の住民らしき人が愛犬の散歩に来ていた。
正面から撮影した熊本城天守閣。
右側の大天守と小天守の間に見えるのが入口。
天守閣入口。入館無料だった。
大天守の最上階から撮影した、本丸御殿大広間の復元工事現場。
2008年に工事は完了し、同年4月20日より一般公開されている。
大天守最上階から撮影した二の丸広場。
向こうに見える野球場は藤崎台県営野球場。
小西行長の居城だった宇土城の天守閣を移築したと伝えられている宇土櫓。
宇土櫓の最上階から撮影した天守閣。
熊本城の正面入り口にあたる頬当御門。
観光客の記念撮影要員として鎧武者姿の職員が2名立っていた。
後ろを向いている武者がつけている幟には細川氏の家紋「九曜」が入っている。
もう一方の武者のつけている幟には、
この画像では見えないが加藤氏の家紋「蛇の目」が入っている。
少し離れた所から撮影した頬当御門。
この画像では(少々見づらいが)幟の「蛇の目」紋を確認できる。
行幸坂。近世には「南坂」と呼ばれ、
城下町に住む藩士がここを通り、南大手門から登城した。
1902年(明治35年)に明治天皇がここに行幸されたことから現在の名となった。
1876年(明治9年)10月に起きた神風連の乱の首謀者・
太田黒伴雄(おおたぐろともお)の奮戦を後世に伝える碑。
西南戦争回顧の碑。
熊本城は西南戦争の際西郷軍の猛攻を受けたが、
官軍は西郷軍より少ない兵数ながらもよく守り、
西郷軍を一兵も城内にいれなかったという。
市電で熊本駅に戻ると、駅の売店で昼食として「SL弁当」とペットボトル入りのお茶を買い、今度は三角線の列車に乗る。
12時19分、三角行き列車は熊本駅を発車した。宇土を出ると、鹿児島本線と建設中の九州新幹線の高架と分かれて三角線に入る。
このあたりで先ほど買った「SL弁当」を広げ、三角線の列車内で昼食。
住吉駅を過ぎたあたりから赤瀬駅の手前までは島原湾に沿って進み、赤瀬駅から波多浦駅までは宇土半島を縦断。
波多浦駅を過ぎてから三角駅の手前までは、
進行方向左手に戸馳島が見える。
13時6分に終点三角に到着。
駅舎には1999年に開通100周年を迎えた際に使用したヘッドマークのほか、
クリスマスイブであることからクリスマスツリーが飾ってあった。
駅を出ると国道266号線を挟んで向こう側に三角港がある。
フェリーターミナルの建物はその形から「海のピラミッド」ともいわれる。
国道266号を大矢野島方面に進む途中、国道57号との交差点近くに
年季の入ったカネボウ「ベルミーコーヒー」の自動販売機を発見。
使用硬貨に500円がない。
なお、見本は左からUCCコーヒー、UCC烏龍茶、UCCコーヒー、
カルピスウォーター、ポカリスエット、キリンオレンジ(いずれも細い250ml缶)で、
ベルミーコーヒーは入っていない
(1996年に自販機での販売を中止したらしい)。
この自販機が実際に稼動しているかどうかは確認していない
(金を無駄にしたくなかったので…)ため不明。
天門橋(※1)の手前に廃墟と化したホテルが。
どことなく某ロボットアニメに出てくる戦艦に似たフォルムで、
屋上には「天草パールラインホテル」(※2)の文字がついている。
その時にも「確か廃墟関連の本やサイトで見たような気がするなぁ」
と思っていたが、帰宅後調べてみると、
やはり地元民や廃墟マニアには有名な場所であることが判明。
奥に見える島は大矢野島。
右に見える橋は天草五橋の1号橋である天門橋。
一旦は橋のたもとまで行き、
予定ではこのまま向こうに見える大矢野島まで歩いて行くはずだったが、
ここで体力と時間に問題が生じた。
今回の旅は1回しかホテルに宿泊していない。
そのため、ホテルに荷物を置いてくることができない。
そして、その荷物はできるだけ少なくしたつもりだが、
やはり5日分ということもあり大きな鞄1つ。
それをずっと持ち歩き、
三角駅からは坂を登ったり降りたりしてようやく橋のたもとまで来たが、
ここまででかなり体力を消耗している。
また、向こうまで行って来て駅まで戻るのにはかなりの時間がかかるだろうし、
次の列車(三角駅14時58分発)を逃すと
その次(三角駅15時54分発)に乗っても博多に到着するのが20時12分。
上りの「ムーンライト九州」は20時41分発であまり余裕がなく、
事故や車両故障などが発生した場合接続できなくなるおそれがあるため、
大矢野島行きを断念、三角駅まで戻ることにした。
中央やや右の小島は「荷島(にないしま)」。
天草パールラインホテルの左奥には
「ボートピア熊本みすみ建設予定地」と書かれた看板がある。
実際にボートピア(※3)の建設が始まったら、
この廃ホテルは取り壊されるのだろうか。
JR三角線の終着駅・三角駅に戻ってきた。
>三角駅構内は単式ホーム1面1線と留置線1本からなる。
駅でしばらく待つと、
14時25分に三角行きの列車が到着し、
乗っていた客が全員降りると、
14時58分発の快速列車"天草グルメ快速「おこしき」"となるため
ヘッドマークが取り付けられた。
"天草グルメ快速「おこしき」"は土曜・休日に1往復運転されていた。
「おこしき」の名は網田(おうだ)駅近くの御輿来海岸に由来する。
熊本行き"天草グルメ快速「おこしき」"は
定刻より少し遅れて15時00分頃に三角駅を発車した。
熊本行き快速列車「天草グルメ快速 おこしき」から見えた有明海。
その奥、海の向こうには島原が。

網田駅の手前では列車名の由来となった御輿来海岸が左手に見えたが、冬なので当然海水浴客がいるはずもなく、閑散としていた。
宇土駅で鹿児島本線に合流し、終点熊本には定刻通り到着。
ホームに降りると、向こう側に見えるホームには16時00分発の寝台特急「はやぶさ」(※4)が停車していた。
熊本からは16時02分始発の鳥栖行き普通列車に乗車。
途中、L特急「有明42号」(※5)、L特急「リレーつばめ52号」(※6)に追い越され、17時26分羽犬塚駅(※7)に到着。
ここで下車し、羽犬塚始発の準快速小倉行きを待つ。
17時34分に羽犬塚止まりの普通列車が2番線に到着。折り返し17時41分発の準快速小倉行きとなり、定刻通り羽犬塚駅を出発した。
列車はすっかり暗くなった福岡県内を走り、18時42分博多駅に到着。
駅構内の土産物コーナーで「博多通りもん」(※8)を購入した後、筑紫口を出てすぐの所にある「おっしょいラーメン」(※9)で夕食。
食べたのは「きくらげラーメン」。3日連続でラーメンである。果たして明日もラーメンを食べるのか?
それはともかく、夕食を済ませると「ムーンライト九州」が来るまでの間は「ヨドバシカメラ マルチメディア博多」の中をうろついて適当に時間をつぶす。
それからコンビニで明日の朝食を購入し、ホームへ向かう。
20時29分、「ムーンライト九州」が5番乗り場に入線。早速乗車する。行きは最後尾の8号車だったが帰りは真ん中の4号車。
20時41分、「ムーンライト九州」は新大阪に向けて出発した。

大阪へ向かう


※1:天草五橋の1号橋。宇土半島と大矢野島との間に架かる。ちなみに2号橋は大矢野橋、3号橋は中の橋、4号橋は前島橋、5号橋は松島橋。
※2:実際には「パ」の半濁点と「ー」、そして最後の「ル」がなくなっていた。
※3:場外舟券売り場。住民の反対によって建設計画を撤回させられている例が少なからずある。
※4:東京−熊本間で運行されていた寝台特急列車。
※5:門司港−熊本・肥後大津間で運行されていた特急列車。
※6:門司港ー新八代間で運行されていた特急列車。
2011年3月の九州新幹線博多ー新八代間開業まで、新八代ー鹿児島中央間の新幹線「つばめ」をその名の通りリレーする役目を負っていた。
九州新幹線開業前は門司港ー西鹿児島(現・鹿児島中央)間の九州縦断特急「つばめ」として運行されていた。
※7:時刻表では筑後市の中心駅とされている駅。
しかし、九州新幹線全線開業時に隣の船小屋駅が移転して新幹線停車駅「筑後船小屋駅」となった。
かつては黒木との間に矢部線があったが、1985年に廃止。
※8:博多の明月堂が販売している饅頭。その名は博多どんたくの際に三味線、笛太鼓などでお囃子をする人たちにちなむ。
※9:JR西日本の子会社・ジェイアールサービスネット福岡が運営しているラーメン屋。


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