青春18きっぷの旅2011春(その2)
新大阪→柏 原(兵庫県丹波市)

2011年4月5日〜6日


2011年4月5日火曜日

この日は夜勤明けで、帰宅してしばらく眠ってから小田原まで移動、
小田原から東海道新幹線「ひかり523号」で終点・新大阪へ。
新大阪に到着すると、この日の宿「ヴィアイン新大阪ウエスト」にチェックインした。

2011年4月6日水曜日

6時20分頃にホテルをチェックアウトし、新大阪から東海道本線で1駅移動。
大きな屋根が完成し、「大阪ステーションシティ」のグランドオープンまであと約4週間となった大阪駅で
大阪始発の福知山行き快速電車に乗り換えた。

8時21分、柏原駅に到着。
柏原駅構内は対向式の2面2線。
柏原駅の駅舎は平成2年に行われた
「花と緑の博覧会」で使われた「山の駅」を
移設したものである。
福知山線の前身である阪鶴鉄道の開通に尽力した
田艇吉(でん・ていきち)の銅像。
太鼓櫓と大歳神社。
太鼓櫓はもともと大手門そばにあったが、
明治初期に現在地に移された。
西楽寺そばにある常夜燈と石碑。
八幡神社の入口。
古市場公民館。
隣には織田神社がある。
公民館前にある道標。
柏原藩3代藩主織田信勝(信包の孫)を祭神とする織田神社。
この年の3月に鳥居の修復と塀の復元が行われた。
織田神社の向かいには
兵庫県の天然記念物に指定されている
樹高22m・幹径6mの大欅と丹波市役所柏原支所がある。
大欅の根の一つは奥村川を跨いで伸びており、
「木の根橋」と呼ばれている。
奥村川の河原に下りて、木の根橋を撮影。
木の根橋の隣に架かるコンクリート橋の名も「木の根橋」。
コンクリート橋は根の形に合わせて窪んでいる。
奥村川は福知山線をくぐった後、
柏原駅の北西で柏原川に合流する。
石段を上って、八幡神社へ。
八幡神社に到達。
本殿・拝殿は
旧国宝→国の重要文化財に指定されている。
本殿の左側を通り抜けると・・・
兵庫県指定文化財・文化12年落成の三重塔。
八幡神社が鎮座する八幡山には、
明智光秀が丹波攻めの際に神社を取り壊して陣城(通称:柏原八幡山城)を築いたが、
後に豊臣秀吉によって神社が再建されている。
三重塔の裏に通っているこの道は、八幡山城の堀切だったところを切り開いて通したらしい。
兵庫県指定重要有形文化財の銅鐘が吊るされた
鐘楼の左の道を下ると・・・
堀切だった道に出た。
三重塔を見上げる。
ここで左にそれると、
先に八幡山城の曲輪の遺構などがあるらしい。
この道を進むと、三重塔の右側に出る。
八幡神社を後にし、東へ進む。
兵庫県立柏原高校の手前で右折。
道標に従い、ここで左折。
柏原高校の東側で藤の目川を渡り再び右折。
ここで左折し・・・
細い道を通ると、その先に・・・
柏原藩主織田家の墓所がある。
(現地では説明看板のように
「織田家廟所」と表記されることもある)
地図サイトでは航空写真だと確認できるが、
地図上で「織田家墓所」と記されていない場合が多い。
ここはかつて織田家の菩提寺・徳源寺だったが、
明治維新後廃寺となってしまい、
現在は織田家の墓のみが史跡として残されている。
↓の画像3点は墓所の内部。
歴代藩主の墓は9代信民を除き、入って左側にある。
柏原藩陣屋跡。
一昨年9月から環境整備が行われているとのことで、
ブルーシートとカラーコーンにより雰囲気はぶち壊し。
柏原藩主織田家旧邸長屋門(兵庫県指定文化財)。
ここから入ると・・・
正面に表御殿がある。
御殿右手の庭園部分も工事中で立ち入れず。
長屋門を内側から撮影。
陣屋跡の向かい側には柏原歴史民俗資料館がある。
館外展示。
左から俳人・田ステ女の石像、旧柏原町道路元標、
伝極楽寺建物礎石、小島省斎顕彰碑。
道路越しに長屋門を通して陣屋表御殿の入口まで写るように撮影。
そろそろ次の目的地へ向かうため、
大手通りを通って柏原駅へ。
振り返って陣屋方面を見る。
織田信長を祀った建勲神社。
同様の神社は京都市北区紫野の船岡山、
柏原と同じ織田家が藩主を務めていた
山形県天童市にもある。

柏原駅に戻り待つこと数分、11時40分発の篠山口行き普通列車に乗って柏原を後にした。


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