青春18きっぷの旅2011春(その1)
神辺(広島県)→岡山→新幹線「さくら」→新大阪→名古屋→新幹線「のぞみ」
2011年3月12日〜13日
※このページの最後のほうにはこの年の3月11日に発生した「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)」に関する記述が含まれています。
不快に思われる方がおられると想定し、該当する記述の手前に注意書きとほかのページへのリンク設けておりますので、
見たくない場合は注意書きが見えた時点で他のページに移動してください。
最後に、今回の地震で被災された皆様にはお見舞い申し上げますとともに、不幸にも亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
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(2011年3月12日土曜日) 福山駅に戻ってきた。 駅の北側には福山城があるが、 こちらを見に行くと神辺に行く時間が無くなってしまうため 今回は断念。 |
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神辺への移動には福塩線を利用する。 次の福塩線の列車は井原鉄道直通の総社行き。 |
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8番のりばに停車中の総社行き列車は 井原鉄道のIRT355形気動車。 |
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福山駅の駅名標と ホームから見える福山城月見櫓。 |
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総社行き列車は神辺駅2番のりばに到着。 1番のりばに停車中の福山行き列車は JR西日本の105系電車。 |
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跨線橋から総社行き列車を撮影。 | ||
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改札を出て、東口の階段を下りると 正面には井原鉄道の神辺駅駅舎がある。 |
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駅前通り(広島県道214号)。 | ![]() |
JR西日本の神辺駅駅舎。 | ||
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山陽道(広島県道390号)を北に進むと、 広島銀行神辺支店前に サンフレッチェ広島仕様の自動販売機があった。 売り上げの一部がサンフレッチェへの支援金になるらしい。 |
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広島銀行前の丁字路を右折。 | ||
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広島県指定重要文化財の山陽道神辺宿本陣(西本陣)。 | |
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本陣の表門。 | ![]() |
東端から撮影。 | ||
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今度は道の両側に常夜燈が据えられた道を南下。 | ![]() |
道の先には・・・ | ||
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天別豊姫神社。 しかし、ここには立ち寄らず神辺城を目指す。 |
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国道313号を東に進み、神辺高校が道路の反対側に見える この場所で右折する。 |
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案内看板に従い、ここでさらに右折。 | ![]() |
この道を進んでいくと・・・ | ||
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進行方向左手には下宮荒神社がある。 | ![]() |
山の上にある福山市神辺歴史民俗資料館が見えてきた。 突き当りを右折した先には2通りの道があった。 |
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1つは歩行者用(?)の道。 上り階段の後、つづら折りもある少しきつめのルート。 |
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もう1つは自動車が通れる緩やかな道 (左側はここまでくる際に通ってきた道)。 |
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2つの道の分岐点には いくつかの遊具を備えた吉野山公園がある。 公園では子供たちが遊んでいた。 |
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鞆の浦を歩き回って足に疲労が蓄積していたが、 あえてこちらの道を選択。 |
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つづら折りの途中で脇道があったので少し進んでみた。 | ![]() |
帯曲輪の1つだろうか。 さらに奥にも何かの遺構があるかもしれなかったが、 先を急ぐことにして元の道へ。 |
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上ってきた道を振り返る。 | ![]() |
途中、道が二手に分かれた。 右手の道を進む。 |
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左手の道の途中には 「雲巾橋」という橋が架かっていた。 |
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合流地点で振り返る。 | ||
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福山市神辺歴史民俗資料館を望む。 | ![]() |
最後の折り返し。 | ||
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階段を上った先は・・・ | ![]() |
トを逆にしたような合流点に着いた。 | ||
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上り切って振り返る。右の道を進むと・・・ | ![]() |
神辺城の説明板と石造の道標。 | ||
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黄葉山山頂方面(神辺城上層部)への道はこちら。 | ![]() |
この先には西福寺奥之院があるらしいが、 上るための階段は風化しつつある。 |
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説明板の反対側を向くと、二手の道がある。 左側が公園に下る道、 右側は歴史民俗資料館への道。 |
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説明板周辺を引いて撮影。 | ||
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歴史民俗資料館への道を進む。 | ![]() |
城郭風の福山市神辺歴史民俗資料館。 | ||
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入口に到着。 なお、神辺城跡にあるこの資料館に 神辺城に関する資料はほとんどなく、 考古資料・民俗資料メインの展示内容からして この場所にあるべきなのか少々疑問。 |
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歴史民俗資料館入口前から黄葉山山頂を撮影。 | ||
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歴史民俗資料館入口前からの眺め。 画像中央を東から西に高屋川が流れている。 高屋川より北にある湯野の住宅地の真ん中を 井原鉄道井原線の高架が通っており、 高屋川の支流・深水川と交差する手前に湯野駅がある。 |
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説明板の左にある道から、いよいよ神辺城上層部へ。 この橋は堀切に架かっている。 |
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この堀切の形はは毛抜堀(断面がU字)らしいが、 落ち葉が積もっていて判別がつかない。 |
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橋を越えると道の舗装はなくなったが、 整備されているので歩きやすい。 |
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さらに進むと左前方が開けてきた。 | ||
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南方面の眺め。 手前の池は豊田池、奥の山は向山。 |
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国道313号と福塩線を中心にして撮影。 | ||
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道なりに行くと三番櫓跡に到達するのだが、 強引に斜面を登って二番櫓跡へ。 |
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次は二の丸乾櫓跡。 | ![]() |
細い道を上る。 | ||
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乾櫓跡からの眺め。 画像中央やや右に見える要害山(標高96m)も 城跡の1つで、虎口の跡などが残っているらしい。 |
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乾櫓跡から二番櫓跡を望む。 | ||
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二の丸乾櫓跡。 | ![]() |
この先はいよいよ本丸。 | ||
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本丸へは左側から回り込む。 | ![]() |
その前に、来た道を振り返って撮影。 | ||
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本丸の手前に「天王神社」と書かれた小さなお社があった。 | ![]() |
神辺城本丸跡。 | ||
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別アングルから撮影。 | |
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帰りは緩やかな坂を下る。 | ![]() |
北西方向の眺め。 | ||
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ちょっとした上り坂の先は・・・ | ![]() |
二番櫓跡に戻ってきた。 画像左側が通ってきた道。 |
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先ほど行かなかった三番櫓跡へ。 | ![]() |
三番櫓跡。 | ||
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三番櫓跡からの眺め。 | ![]() |
三番櫓跡から二番櫓跡、乾櫓跡を見る。 | ||
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説明板前まで来た道を戻り、 下りは自動車も通れる緩やかな道を通った。 途中で山頂方面を撮影。 |
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北方面を撮影。 | ||
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神辺駅に戻ってきた。 神辺駅の井原鉄道のりば。 |
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1番のりばに到着した福山行きワンマン列車。 この列車で福山駅まで移動。 |
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福山からは普通列車で岡山まで行ったが、到着時間は18時。 岡山城再訪問は諦め、岡山駅構内で夕食を取った後、新幹線のりばへ。 |
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岡山駅23番・24番のりばの発車案内。 | |
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こちらは従来のN700系車両を使用した 東京行き「のぞみ56号」。 この列車には乗らず、次を待つ。 |
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そのあとに23番のりばに入線したのが、 この日から運行開始された山陽・九州新幹線直通の N700系8000番台による新大阪行き「さくら572号」。 |
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「さくら572号新大阪行き」と表示された 種別行先表示器。 (新大阪駅到着後に撮影) |
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乗降扉横には 山陽・九州新幹線直通を象徴する "KYUSHU WEST JAPAN"のロゴがあった。 |
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新大阪駅に到着した「さくら572号」は 折り返し鹿児島中央行き「みずほ607号」となった。 |
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この後、新大阪駅の改札を出て、 「ヴィアイン新大阪」にチェックインした。 |
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※以下、3月11日に発生した「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)」に関する記述があります。
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ホテルの部屋でテレビをつけると、ほとんどのチャンネルで通常放送を取りやめ地震関連の報道が続いていたが、
関西ローカルのサンテレビなど、ほぼ通常放送のチャンネルもあった。
ユニットバスでシャワーを浴びた後、日付が変わるまでテレビを見て、明日帰京したらどうなっているのだろうと思いながら眠りについた。
2011年3月13日日曜日
この日は大垣で途中下車し、天守の改修工事が終わったばかりの大垣城を見に行き、大垣から東海道本線を乗り継いで帰宅する予定だったが、
前日の16時にようやく豊橋以東の運転が再開された東海道本線で予定通りの乗り継ぎができるかどうかという不安と
早く家に帰って家と家族の無事をこの目で確認したいという思いがあった。
結局、新大阪から近江塩津行き新快速電車に乗り、米原で新快速豊橋行きに乗り継いだまでは予定通り行ったものの、
大垣での途中下車を取りやめて名古屋まで乗車。名古屋から東京行き新幹線「ひかり512号」で帰京した。
大垣城は見られなかったが、その代わり新幹線の車窓からは富士山を頂上まではっきりと見ることができた。
東京電力管内で供給電力不足による計画停電が始まり、東北方面に加え関東周辺にも旅に出られる環境でなくなったのは
休み明けの2011年3月14日(月曜日)からだった。
New Yen Town Station | ||
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柏 原> |
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