青春18きっぷの旅2011春(その1)
鞆の浦<その2:平賀源内生祠〜鞆港バス停>

2011年3月12日


下り坂の途中、平賀源内生祠に立ち寄った。
「南無妙法蓮華経平賀源内神儀」と刻まれた石造の卒塔婆と
宝暦14年(1764年)に建立された三宝荒神。
土の神、竈の神と平賀源内が祀られている。
坂を下り切り、南に進んで
海がすぐ近くに見えるところまで来た。
鞆港、仙酔島方面。
淀媛神社方面。
このあたりの浜は、
船を長持ちさせるため船底を焼いて乾燥させる(=たでる)、
「焚場(たでば)」跡といわれている。
渡守神社御旅所。
清正公道の入り口。
この道の先は埋め立て架橋を求める幟が建っていた分岐
道の由来は、分岐のさらに先にある大覚山法宣寺に
かつて加藤清正を祀る清正公堂があったことによるらしい。
ブログ「鞆の浦日記」を参照
鶴林山地蔵院。
「名酒賣捌所」の看板を掲げた
太田家住宅(鞆七卿落遺跡)。
太田家住宅は国の重要文化財に指定されている。
鞆の浦のシンボルとなっている常夜燈。
この日も多くの観光客が常夜燈の前で記念撮影を行っていた。
常夜燈の手前にある「いろは丸展示館」。
福山市鞆の浦歴史民俗資料館への階段。
階段の途中から医王寺方面を見る。
階段を上り切り、東側から回り込んだところ。
石垣には刻印のされた近世のものも組み込まれている。
北側への下り坂。
福山市鞆の浦歴史民俗資料館へ、最後の上り坂。
福山市鞆の浦歴史民俗資料館。
資料館前から走島方面を見る。
資料館前から玉津島方面を見る。
資料館前から焚場跡方面を見る。
資料館前には鞆の浦で幼少期を過ごし、
鞆の浦にインスピレーションを得て「春の海」を作曲した
宮城道雄の銅像がある。
鞆城跡の説明看板と刻印の入った石垣。
左には早毛利稲荷神社の鳥居が見える。
資料館前から大可島・圓福寺方面を見る。
史料館の見学を終え、坂を下る。
石垣の一部には「回」や「大」、「△」などの刻印がある。
駐車場から歴史民俗資料館を見上げる。
駐車場の先にある、
福山市指定重要文化財の「鞆の津の商家」。
「鞆の津の商家」脇の道を通り、南へ進む。
海岸山福禅寺。
寺そのものよりも客殿である対潮楼のほうが有名である。
福禅寺本堂。
対潮楼は右奥にある。
福禅寺前の県道22号から弁天島を撮影。
仙酔島へ行くための福山市営渡船乗り場。
傍らに「夾明樓上り口」の道標が建つ石段を上って圓福寺へ。
圓福寺前では猫が毛繕いをしていた。
圓福寺前から鞆城跡(歴史民俗資料館)方面を撮影。
圓福寺前から眼下に見える鞆港を撮影。
繻エ伊賀守重信一族の墓。
南北朝時代に南朝に属した繻エ重信の一族は
圓福寺境内にかつて存在した大可島城(たいがしまじょう)にて
北朝軍と戦ったが敗北、この地で亡くなった。
末裔が昭和34年に墓域を修復し、残っていた墓石を集めた。
南林山圓福寺は鞆城が築かれて大可島が陸続きになった
慶長年間に建立されたという。
境内に建つ宝篋印塔や観音像、無縫塔など。
圓福寺本堂。
圓福寺は「鞆之浦大師」の別称がある。
頼山陽の叔父・頼杏坪の命名による客殿・夾明樓は
この奥にあるが、公開は期間限定。
松尾芭蕉の「疑な うし保のはなも 浦の春」の句碑。
本堂の裏に回って燧灘に浮かぶ島々を撮影。
皇后島(左手前)と走島(右奥)。
弁天島(左手前)、皇后島(右手前)、仙酔島(奥)。
弁天島と仙酔島。
海沿いには墓地がある。
墓地にも猫がいた。
福山駅前からの鞆鉄道バスの終点「鞆港」停留所。
鞆港の雁木。
鞆港から医王寺方面を見る。

12時53分の鞆港発福山駅行き鞆鉄道バスで鞆の浦を後にした。


New Yen Town Station
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