青春18きっぷの旅2011夏
(その1)
豊橋(吉田城・豊橋鉄道東田本線)→新大阪
2011年8月16日

今年の夏は職場の都合で3日以上の連休が取れなかったが、
何とか夜勤前の平日2連休に旅行の予定を入れることができた。
5回分使い切れるかどうかわからないが、青春18きっぷを購入し、
あるテーマに沿って1泊2日の旅行を計画した。

2011年8月16日火曜日

自宅から一番近いJRの駅・登戸で青春18きっぷを使用開始。
8時16分発の各駅停車川崎行きで終点川崎まで行き、東海道線の8時56分発熱海行きに乗り換え。
熱海で島田行き、静岡で浜松行き、浜松で豊橋行きに乗り継ぎ、13時55分に豊橋駅に到着。

ここまで乗車してきた列車は南武線以外、3月11日に田原へ行った時と同じ列車である。
(南武線の列車も3月11日の当初は16分発に乗車予定だったが、登戸駅に早く着いたため
2本早い11分発の列車に乗車した)
そして、この日の目的地・豊橋の吉田城は3月11日にもし途中で予定より遅くなって、
田原に行けなくなった場合に訪れるつもりだったところである。

青春18きっぷを提示して豊橋駅の改札を出ると、東口へ進み、
豊橋鉄道東田本線(市内電車)の駅前電停へ。
駅前電停にはT1000形(ほっトラム)の赤岩口行き電車が停車していたが、
券売機で一日乗車券を買っている間に置いて行かれてしまった。
そのため、しばらく待ってモ3500形の運動公園前行き電車に乗車した。
豊橋公園前電停で下車し、豊橋公園(吉田城跡)へ。
ここは川毛口門跡。
なお、マンホールのそばに落ちている紙は旅の行程表である。
しばらく経ってから落としたのに気づき、慌てて探し回ったところ
この場所にそのままあったので無事回収した。
逆側から撮影した川毛口門跡。
豊橋市美術博物館(原則入場無料)。
訪問した日は美術系の特別展のみ行われていて、
平常展示はなかった。
この記事を書くためにネットで調べていると、過去にも
特別展実施時に平常展がないことは多いらしい
(1年の2/3がそのような状態という年も)。
平常展の歴史資料を見たい場合は事前に調べて、
特別展がない日に訪れたほうがよい。
地方(じかた)役所跡。
評定櫓跡。
二の丸御殿跡。
「此処に歩兵第百十八聯隊ありき」と記された碑。
帝国陸軍歩兵第百十八連隊は第二次世界大戦中の昭和16年に
豊橋で編成されたが、昭和19年にサイパンで玉砕した。
次の曲輪に行く前に、二の丸を振り返る。
二の丸北側の空堀。
往時はどのくらいの深さだったのかわからないが、
現在はこのようにかなり浅くなってしまっている。
二の丸の北にある本丸出曲輪。説明板によると通称は「金柑丸」で、
吉田城の前身・今橋城の本丸だったと推測されているらしい。
「舊藩祖 豐城神社」と刻まれた石柱が建っているが鳥居はない。
歩兵第十八聯隊之址。
帝国陸軍歩兵第十八連隊は明治17年に名古屋で編成され、
後に豊橋に移ってきたが、昭和19年にグアムとサイパンで玉砕。
金柑丸の一番奥には彌健神社があり、神武天皇像を祀っている。
この神武天皇像はもともと市内にあった八町練兵場内に
明治32年に建てられた日清戦争の戦勝記念碑の上に
鎮座していたが、第二次大戦後約20年間いずこかに隠された。
昭和40年に現在の場所に建てられ、再び日の目を見ることになった。
「金柑丸稲荷跡」の碑。
本丸へ至る土橋。
本丸と金柑丸を隔てる空堀。
裏門跡を通り、いよいよ本丸へ。
吉田城本丸。
本丸側から裏門跡を見る。
本丸東南側の石垣。
本丸唯一の建築物。
城に詳しくない人は「天守閣」と認識してしまうところだが、
これは本丸の四隅に造られた櫓の1つ、鉄櫓(くろがねやぐら)。
吉田城には天守台がなく、天守閣は造られていない。
※形状から鉄櫓ではなく別のものだとする人もいるようだが、
公式に「鉄櫓」と称している(入口に「吉田城鉄櫓」と書かれた
木製の看板がある)以上は鉄櫓以外の何物でもない。
こちらが大手らしく、
南多門、冠木門という2つの門があったことを示す石柱が建っていた。
本丸南側と二の丸を隔てる空堀と石垣(西側)。
本丸南側と二の丸を隔てる空堀と石垣(東側)。
本丸側から二の丸を見る。
二の丸から本丸大手方面を見る。
大手の西側(本丸の南西)にあった千貫櫓の跡。
「吉田城趾」と刻まれた石碑が建つ。
千貫櫓跡から見下ろした空堀。
千貫櫓跡から南多門跡を見下ろす。
本丸の東側部分(裏門の北側)。
井戸跡がある。
本丸北側の石垣。
北東隅には入道櫓があった。
北側には北多門があった。
桝形虎口を抜けると、北側の堀の代わりとなっていた豊川が見える。
外側から北多門跡を見る。
武具所跡。
展望台のようになってしまっている。
武具所跡から豊川(上流方向)を見る。
武具所跡から豊川(下流方向)を見る。
奥に見える橋は国道1号(東海道)の吉田大橋。
復興鉄櫓に接近。入口の張り紙によると、
櫓内部は日曜・祝日の10時から15時に公開しているらしい。
この日は火曜日なので当然ながら中には入れず。
本丸御殿跡。
北多門から本丸を出ると、そこは腰曲輪。
北側から豊川を渡って攻めてきた敵を迎え撃つための曲輪である。
北多門の階段。
川手櫓跡。
本丸西側の空堀。
空堀の外側を通って二の丸へ。
旧吉田藩士で、横浜正金銀行
(東京銀行を経て現在の三菱東京UFJ銀行)の初代頭取を務めた
中村道太の記念碑。
着到櫓跡。
三の丸口門跡。
現在ある門柱は歩兵第十八聯隊の正門として使われていたもので、
左に見えるものは哨舎(見張り小屋)。
太鼓櫓跡。
豊橋公園を後にし、少し歩くと市役所前電停に到着。
ここから再び市内電車の運動公園前行きに乗車。
終点・運動公園前電停で下車。
ここまで乗ってきたのは名鉄から譲渡されたモ780形。
終端部は車止めなどなく、
横断歩道の手前で突然線路が途切れている。
運動公園前電停から徒歩で赤岩口電停へ。
赤岩口電停には車両基地が併設されている。
こちらの終端部は朝倉川に架かる愛知県道4号の多米橋手前で
やはり車止めなどなしに突然途切れる。
赤岩口電停。
車両基地との直接の行き来ができず、一旦終端部まで行き
スイッチバックしないといけない。

赤岩口電停から駅前行き電車に乗り、次の井原電停に到着したところで豊橋鉄道の(渥美線を含む)完乗を達成したが、
運動公園前→赤岩口間の徒歩移動と赤岩口電停での電車待ちで時間を使ってしまい、
豊橋から乗車予定の新快速米原行きに間に合うかどうかは微妙な情勢。
終点・駅前電停に到着するとJRの改札へ急ぎ、青春18きっぷを提示して改札を通過。
名古屋あたりまで座れないのを覚悟しながら5番線のホームに降りると、新快速米原行きはまだ入線していなかった。
そのおかげで(?)無事着席でき、新快速米原行きは3分遅れで豊橋駅を発車した。
名古屋までに遅れは解消し、終点・米原の2番のりばには定刻に到着。
3番のりばに入線した姫路行き新快速電車へは同一ホームでの乗り換えができたため"米原ダッシュ"をせずに済んだ。

新大阪で新快速電車から下車し、駅構内の「浪花そば」で遅めの夕食。
当初は別のものを注文するつもりだったが、食券売り場に張ってあった「新大阪そば」のポスターが気になって
「新大阪そば」を食べることにした。
「新大阪そば」はうどん用の出汁に黄色い中華麺を入れた、姫路駅の名物「えきそば」に似たもの。
おいしゅうございました。

食後は新大阪駅の改札を出て、駅近くのホテルにチェックイン。

2日目に続く>


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