青春18きっぷの旅2006夏
(その2)
美濃・琵琶湖
(赤坂→西濃鉄道昼飯線→中山道
→垂井→関ヶ原→長浜)
2006年8月18日

前回の旅が終わって、夏の青春18きっぷはあと2回分残っているが、
今月はもう連休がないため泊りがけの旅行は無理。
しかし、深夜に家を出て「ムーンライトながら」に乗ればある程度の遠出はできるので、
仕事に差し支えないような計画を考えた結果、8月17日夜に家を出て「ながら」に乗り、
なかなか利用する機会のない東海道本線の支線(通称「美濃赤坂線」:大垣−美濃赤坂)と湖西線の乗りつぶしをすることにした。
そして、行きは昨年8月の蒲刈行きの時と同じく、23時25分登戸発の急行小田原行きで小田原まで行き、
小田原から「ムーンライトながら91号」に乗ることにした。

急行は18日0時44分に終点小田原に到着。
小田急の改札を出て、コンビニで食べ物・飲み物を調達するとJRの改札で18きっぷの4回目の部分に改札印を押してもらう。
3・4番線ホームに降りると、定期列車「ムーンライトながら」の自由席乗車位置ではすでに列ができていた。
(定期の下り「ムーンライトながら」大垣行きは東京−小田原間は全車指定席だが、
小田原から4号車〜9号車が自由席に変わるため、このように列ができていた。
しかし、小田原到着前にすでに満席である場合も多いため、列の先頭に並んでいても席に座れる確率は少なかった。)
1時4分、定期「ながら」が3番線に到着。
並んでいた人、諦めてベンチに座っていた人が続々と乗り込み、
1時6分に定期「ながら」が大垣方面に走り去ると、ホームにいる客は自分だけとなった。
3分後、臨時「ムーンライトながら91号」が3番線に到着。早速乗車し、
指定された席に座ったところで「ムーンライトながら91号」は小田原を出発した。
小田原発車後、いきなり車内放送休止のお知らせ。豊橋到着時に再開しますとの旨。減灯はせず。
検札が少し遅いなと感じたのと、静岡より先で2、3分ほど遅れた以外は特に問題なく、
浜松で一旦定期「ながら」に追いつく。
豊橋到着前に予告通り「おはようございます」の挨拶とともに車内放送復活。
豊橋で再度定期「ながら」に追いつくと、今度は「ムーンライトながら91号」が先発。
5時20分に名古屋駅6番線に到着した。ここで「ムーンライトながら91号」から下車。

名古屋駅5・6番線ホームで「ムーンライトながら91号」を見送ると
同じホームで5時52分発の美濃赤坂行き普通列車(101F)の入線を待つ。
(昨年8月の蒲刈行きのように大垣以遠に行く場合は当然大垣まで「ムーンライトながら91号」に乗っていくが、
今回は美濃赤坂に行くのと、大垣から乗り換えても同じ列車であるため、
101F(大垣−美濃赤坂間は1201F)の始発駅である名古屋かで乗り換えることにした。
ちなみに、当時のダイヤで101Fは「ムーンライトながら91号」が運行されない日においては大垣方面への一番列車
(平日は美濃赤坂行き、土曜・休日は大垣行き)であり、
この列車の次に大垣方面に行く列車は6時16分発の定期「ムーンライトながら
(9両編成で到着して、名古屋で後ろ3両を切り離して6両編成になると同時に全車が自由席となる。大垣まで各駅に停車)だった。)
15分ほど待つと、5番線に岐阜方面から10両編成で列車が入線してきた。
このまま10両で行くのかと思ったが、岐阜寄りの8両は切り離されて再び岐阜方面に回送されていき、
残った2両がホーム中央にあるコンビニ「ベルマート」前まで移動してきてドアを開けた。
名古屋のような大きな駅の長いホームに2両編成の電車が停車している光景はなかなか滑稽である。
5時52分、美濃赤坂行き普通列車は定刻通りに名古屋を出た。
電車は枇杷島・清洲・稲沢・尾張一宮・木曽川・岐阜・西岐阜・穂積の順に乗客を少しずつ増やしながら停車していき、
6時28分に大垣駅2番線に到着した。
大垣に到着すると、乗客は自分を含めて2人だけになってしまった。
しばらく停車した後、6時41分に美濃赤坂行きは大垣駅を後にした。
次の停車駅である荒尾は無人駅のため、美濃赤坂行きの車内では大垣発車後車掌によって乗車券の回収が行われた。
美濃赤坂行きはしばらく垂井方面に進んだ後、
南荒尾信号場(大垣−垂井間にある分岐点)で右側に進路を取り、信号場のすぐ北にある荒尾に到着。
荒尾では意外にも乗ってくる客が数人いた。荒尾を出た電車は2分ほどで終点・美濃赤坂駅に着いた。

[東海道本線:浜松駅]
停車中の下り大垣行き快速「ムーンライトながら」と
上り東京行き寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」。
サンライズ瀬戸・出雲」は客扱いを行わない運転停車。
[東海道本線:浜松駅3・4番線]
3番線には定期の「ムーンライトながら」、
4番線には臨時「ムーンライトながら91号」が停車中。
[東海道本線:名古屋駅5・6番線]
名古屋で「ムーンライトながら91号」から下車。
ホームの反対側・5番線に入る
美濃赤坂行き普通列車に乗り換える。
[東海道本線:名古屋駅6番線]
名古屋駅を発車する「ムーンライトながら91号」。
[東海道本線:名古屋駅5番線]
2両編成の美濃赤坂行き普通列車。
[東海道本線:大垣駅]
大垣駅の発車案内。
2番線の6時41分発が美濃赤坂行き普通列車。
7時ちょうど発は大垣始発神戸方面加古川行きの普通列車
(高槻より先は快速列車)で、JR西日本の車両が
大垣まで乗り入れていた。

[東海道本線:美濃赤坂駅(岐阜県大垣市赤坂町)]
名古屋からここまで乗車してきた列車は
折り返し大垣行き普通列車となった。
[東海道本線:美濃赤坂駅]
ホームの端から行き止まりの方を撮影。
[東海道本線:美濃赤坂駅]
駅舎。
[東海道本線:美濃赤坂駅]
行き止まり部分から駅構内を撮影。
[西濃鉄道昼飯線:美濃赤坂→美濃大久保(岐阜県大垣市赤坂町)]
美濃赤坂駅から西に向かって歩く。
少し進むと、踏切跡にさしかかる。
この踏切は貨物専業の西濃鉄道昼飯線と交差していた。
なお、昼飯線が廃止されて日が浅いためか、
レールはまだ残っていた。
[西濃鉄道昼飯線:美濃赤坂→美濃大久保]
地図を頼りに廃線跡を辿っていく。
このあたりではすでに一部が草に埋もれつつあった。
[西濃鉄道昼飯線:美濃赤坂→美濃大久保]
美濃大久保駅跡の南側にある第4種踏切。
手前側の線路は美濃赤坂から、
奥側の線路(道路の亀裂が途切れているところ)は
昼飯(ひるい)から伸びてきて、この先の美濃大久保駅まで続く。
[西濃鉄道昼飯線:美濃赤坂→美濃大久保]
画面奥の少し広くなっているところが美濃大久保駅跡。
昼飯からきた線路は叢に埋もれている。
[西濃鉄道昼飯線:美濃大久保駅跡(岐阜県大垣市赤坂町)]
美濃大久保駅は行き止まりになっており、
美濃赤坂・昼飯から来た貨物列車はここでスイッチバックして
逆方向へ向かっていた。
[西濃鉄道昼飯線:美濃赤坂→美濃大久保]
岐阜県道216号を横切っていた踏切。
往時は左に見切れている小屋に
踏切保安係が待機していたと思われる。
[西濃鉄道昼飯線:昼飯駅(岐阜県大垣市昼飯町)]
駅舎。
左側の線路は美濃大久保駅に向かって伸びていた。
なお、このあたりの地名「昼飯(ひるい)」の由来は、
大垣市史によると難波から善光寺に如来仏像を運ぶ一行が
この地で昼飯をとったことからそのまま
「昼飯(ひるめし)」となったものの、下品であるということで
「飯」を音読みの「いい」に読み替えて「ひるいい」とし、
さらに言いにくいことから1文字縮めて「ひるい」となったらしい。
[西濃鉄道昼飯線:昼飯駅]
駅構内。
[西濃鉄道昼飯線:昼飯駅]
構内には赤錆びたコンテナが1つ、
貨物ホームには多数の木枠が取り残されていた。
[西濃鉄道昼飯線:昼飯駅]
行き止まりのところから構内を撮影。
赤錆びたコンテナの上に見える小屋が駅舎。
[東海道本線(新垂井線):南荒尾信号場→関ヶ原(岐阜県大垣市昼飯町)]
昼飯線を撮り終えると、さらに西に向かう。
昼飯町交差点を過ぎるとすぐに
東海道本線の下り線(通称:新垂井線)を潜る。
[東海道本線(新垂井線):南荒尾信号場→関ヶ原]
ちょうど貨物列車が関ヶ原方面に走っていった。
[東海道本線(新垂井線):南荒尾信号場→関ヶ原]
東海道本線の下り線は上り勾配の緩和のために
垂井駅を通らない迂回ルート「新垂井線」が作られた。
普通列車や快速列車は再設置された「垂井線」を通って
大垣−垂井−関ヶ原と停車していくが、垂井駅に止まらない
特急列車や貨物列車は現在も「新垂井線」を通る。
[中山道「青墓宿」]
なおも西進すると、小川にかかる橋のたもとに
「中山道 青墓宿」とかかれた柱が。
中山道にそんな名の宿場はあったっけ?
と疑問に思ったが、後日調べたところ、
近世に五街道が整備される以前は
東山道(中山道)の宿場だったが、
その後赤坂が宿場として発展したため青墓は衰退したらしい。
[美濃国分寺(岐阜県大垣市青野町)]
さらに進むと美濃国分寺跡に到着。
一通り見回ったが、すぐそばにある
大垣市歴史民俗資料館は時間の都合で入れず。
[美濃国分寺]
東門跡からかつての境内に入る。
[美濃国分寺]
なお、国分寺は高野山真言宗の寺として
画面奥の山のほうに健在である。
[美濃国分寺]
本殿跡。
[大垣市・垂井町境(手前が大垣市青野町、奥が不破郡垂井町平尾)]
国分寺跡を後にし、大垣市と垂井町の境に来たところで立ち止まり、
地図と予定表を広げる。
当初の予定ではこのまま西進して
新垂井駅跡まで行くつもりだったが、
この後の琵琶湖一周の予定が大幅に狂ってしまうことなどを
考慮した結果、新垂井駅跡訪問は諦めてここで左折し、
垂井駅に向かうことにした。
[相川(岐阜県不破郡垂井町)]
途中、中山道を通りながら、揖斐川の支流・相川を渡る。
しばらくしてようやく垂井駅に到着。

西軍の主な武将。
地元美濃・垂井城主の平塚為広が
後付けで加えられている。
毛利・吉川勢が入っていないのは陪臣だからだろうか。
[東海道本線:関ヶ原駅]
垂井から1駅先の関ヶ原駅で下車。
駅には観光協会によって
このような看板が設けられていたが、
強風を伴って雨が降ってきているのと、
美濃赤坂駅から垂井駅まで歩いてきて
消耗した体力が回復していないのを考えて、
古戦場などの見学は見送った。
東軍の主な武将。
こちらも、地元美濃の竹中重門が
後付けされている。
[東海道本線:関ヶ原駅]
3・4番線ホームから大垣方を撮影。
[長浜鉄道スクエア(滋賀県長浜市北船町)]
新快速米原行き→米原から新快速長浜行きと乗り継いで長浜に到着したが、
ここでも強風の中雨が降ったり止んだりで、
計画上でも観光に使える時間が少なかったことから、
長浜城や鉄道スクエアは外から見るだけとなってしまった。
[長浜城]
市民プール前交差点の歩道橋上から模擬天守を撮影。
[長浜城]
模擬天守は長浜城歴史博物館になっている。
[琵琶湖]
[琵琶湖]
[琵琶湖]
[琵琶湖]

その後長浜駅に戻り、普通敦賀行き→敦賀から普通近江今津行き→近江今津から新快速姫路行きと乗り継ぎ、
琵琶湖一周は達成したが、計画に多少無理があったのは否めない。


New Yen Town Station
<(その1)
津島ノ宮
青春18きっぷの旅
2006夏(その2)
(その3)>
飯田線