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青春18きっぷの旅2007夏 |
(→博多→鳥栖→肥前山口→早岐→諫早→) 長 崎 |
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2007年7月26日(2日目) |
青春18きっぷの旅2007夏 | |||
7月25日 水曜日 (1日目) |
7月26日 木曜日 (2日目) |
7月27日 金曜日 (3日目) |
7月28日 土曜日 (4日目) |
0時23分、日付が変わって最初の停車駅・岡山に到着。
0時25分に岡山を出ると、しばらく客扱いのある停車はなし。
1時16分にしまなみ海道の下を通過し、1時27分に糸崎で2分間の運転停車。
2時11分から11分かけて「セノハチ」を越え、2時34分に広島で2度目の運転停車。
瀬戸内海沿いを進むこと約1時間半、徳山で3度目の運転停車。
徳山を発車してから1時間ほど経って、快速「ムーンライト九州」は新しい朝とともに厚狭に到着。
5時35分に到着した下関で電気機関車を付け替えて、5時53分に関門トンネルを通過。
1年7ヶ月ぶり2度目の九州上陸。
門司で再度の機関車付け替えを行い、小倉・戸畑・黒崎・折尾と停車していく。
6時33分に折尾を発車し、あとは博多に着くだけと思いきや、福間で2分間運転停車。
福間を発車して24分後、定刻より3分遅れて「ムーンライト九州」は終着駅・博多の1番のりばに到着した。
南福岡電車区へ回送される列車を見送った後、5番のりばに移動して7時34分発の普通荒木行きに乗り換え。
通勤通学時間帯なので、満員ではないものの座席の空きはすでになかった。
3分遅れで博多を発車した普通電車はその遅れを回復できずに鳥栖に到着。
鳥栖駅構内には小さな蒸気機関車が静態保存されていた。
鳥栖で乗り換えた肥前山口行き普通列車も特急の接続待ちで鳥栖発車は3分遅れとなった。
肥前山口で先に行くための佐世保線早岐行き普通列車への乗り換え時間はもともと4分しかないのに、
この電車も3分遅れのままで運行したため、肥前山口ではかなりあわただしい乗換えとなった。
早岐行きは定刻通りに進み、10時39分に終着の早岐に到着。
ここで大村線の快速「シーサイドライナー」に乗り換え。
4番のりばに入ってきた、赤いドア以外は全体青ずくめのキハ66・67系「シーサイドライナー」は
10分ほど停車した後、長崎に向けて発車した。
「シーサイドライナー」はその名のごとくしばらく海(早岐瀬戸→大村湾)沿いを走った。
窓越しに見えた早岐瀬戸とハウステンボス。
窓越しに見えた大村湾の風景。
松原から先は岩松の手前を除いて内陸を進み、11時43分に島原鉄道との乗換駅・諫早に到着。
この諫早である事件が起きるのだが、それはまだ先の話。
諫早を出た「シーサイドライナー」は喜々津から市布・現川経由の新線を通って12時9分、終点の長崎に到着した。
長崎駅構内にある模造の朱印船。
長崎駅構内・車止めのそばにある1/15スケールの眼鏡橋。
長崎駅の車止めから浦上方を望む。
JR長崎本線の終点・長崎駅。
長崎電気軌道長崎駅前電停で「縦列停車」する、
「リンガーハット」のラッピングが施された正覚寺下行き1系統電車と
「ハウステンボス」のラッピングが施された蛍茶屋行き3系統電車。
平和公園内にある「平和の泉」。
平和な時代を生きる我々は、画像中央の石碑に刻まれた「あの日のある少女の手記」の一節を読んで何を思う。
平和公園にある「原爆殉難者の碑」と「長崎の鐘」。
「長崎の鐘」については永井隆が同名の随筆を書き、それをもとにして同名の映画が作られたほか、
同名の歌謡曲が2曲(サトウハチロー作詞・古関裕而作曲で藤山一郎が歌ったものと
植本一雄作詞・作曲で藤原義江が歌ったもの)作られるなど、さまざまな作品のモチーフとなっている。
平和公園内にある、長崎刑務所浦上支所の跡。
ここでは1945年8月9日に投下された原子爆弾「ファットマン」によって134人が犠牲となったという。
長崎県出身の彫刻家・北村西望によって作られ、
1955年の建立以来平和公園のシンボル・そして長崎のシンボルとなっている「平和祈念像」。
像周辺では52回目の「8月9日」へ向けた準備が進められていた。
単なる観光スポットではなく、長崎大司教区のカテドラル(教区の中心的な教会)として
日本のカトリックにおける重要な施設にもなっている浦上教会(浦上天主堂)。
入り口の右手にあるのは、1981年の訪日を記念して翌年に建立されたローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の胸像。
原爆落下中心地公園に移築され保存されている、被爆した浦上天主堂の壁の一部。
原爆落下中心地公園。
アメリカ軍のB29「ボックスカー」から投下され、1945年8月9日11時2分に炸裂した
原子爆弾「ファットマン」の爆心地である。
長崎原爆資料館を見学した後、山王神社へ行く途中に下った坂道。
長崎市と姉妹都市になっている(日本の都市として初めての姉妹都市提携である)
セントポール(アメリカ・ミネソタ州の州都)に因んで「セントポール通り」という名がついていた。
山王神社の参道入り口に聳える楠の木。
被爆クスノキとして長崎市指定の天然記念物となっている。
原子爆弾「ファットマン」の爆風によって半壊した山王神社の二の鳥居。
残った右半分は「一本柱鳥居」として観光スポットになっている。
石段の途中から見上げるように撮影した「一本足鳥居」。
長崎電気軌道浦上駅前電停から乗車した正覚寺下行き1系統電車。超低床車両の3000形。
長崎電気軌道5系統の終点・石橋電停。
「オランダ坂」の南端から坂の上を見る。
傍らには20%と記された「上り急勾配あり」の標識がある。
孔子廟。奥には中国歴代博物館がある。
グラバースカイロード。
平成14年(2002年)7月27日に傾斜角度31度、延長約160メートルの斜行エレベーターが運行を開始した。
翌年には通常の垂直エレベータが稼働開始し現在に至る。
グラバー園へ行く観光客のほか、地元の住民にも利用されている。
大浦天主堂近くの道にいた野良猫。
なお、グラバー園の入り口には別の野良っぽい痩せた子猫がいて、
みゃあみゃあ鳴きながら園内までついてきたので、
猫好きの自分としては是非そのまま「お持ち帰り」したかったのだが、
諸事情によりやむなく断念し、園内の旧三菱第2ドックハウス内部で振り切った。
同ハウスを出た後、少し経って中を覗いてみると、
子猫はみゃあみゃあ鳴きながら観光客と思しき女性3人組と遊んでいた。
国宝・大浦天主堂(日本二十六聖殉教者天主堂)。
浦上教会が再建されてカテドラルとなるまではここが長崎大司教区のカテドラルだった。
長崎ちゃんぽん発祥の店・四海樓。この日の夕飯はここで長崎ちゃんぽんを食べた。
グラバースカイロード・斜行エレベーターの入り口(1階)。
グラバー園に行くには最上階(5階)で垂直エレベーターに乗換えとなる。
5階からは大浦天主堂へ行く道もある。
グラバー園内から見た長崎市街。
グラバー園内にある旧ウォーカー住宅。
グラバー園内にある旧リンガー住宅。
グラバー園内にある旧オルト住宅。
グラバー園内にある旧スチイル記念学校。
グラバー園内にある、日本最初のアスファルト舗装された道路。
グラバー園内にある旧グラバー住宅。
グラバー園内にあるトーマス・ブレーク・グラバーの胸像。
グラバー園内から見た、長崎市街の夕景。
闇夜の中、ライトアップされた大浦天主堂。
不法侵入者はプチジャン神父の像に襲われます(嘘)。
「夜の大浦天主堂」を撮影した後、大浦天主堂下電停から路面電車に乗って長崎駅前に戻り、
駅に併設されている「JR九州ホテル長崎」にチェックインした。<3日目に続く→>
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